豊臣一門・城主
豊臣秀吉の姉ともと婚姻し、秀吉の甥にあたる秀次・秀勝・秀保の3子の実父となった。秀吉の勢力拡大とともに尾張犬山城10万石の城主として取り立てられ、のち清須城主となって秀吉一門の中核を担った。秀次が近江八幡43万石の領主となったのち、吉房は秀次の後見役として位置づけられたが、その具体的な立場は確定していない。文禄4年の豊臣秀次事件に連座して改易され、讃岐国へ配流されたと伝わるが、配流先の詳細や配流期間については資料に幅がある。
出典 近江八幡市『豊臣秀次について』、村雲御所瑞龍寺『瑞龍寺起源・由緒』
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