武将
6件
1496年
10月
畠山尚順が河内進攻を試みる
明応の政変後に紀伊へ逃れていた畠山尚順が河内へ進攻したが、この年の反攻は成功せず、翌年に改めて攻勢をかけた。
1497年
畠山尚順が高屋城を攻略
紀伊から進攻した畠山尚順が高屋城を攻略し、畠山義豊方を退けて南河内一帯で優位に立った。
1499年
1月
畠山義豊が敗死
畠山義豊は正月10日に野崎城を攻略したが、月末に畠山尚順方との戦いに敗れて自害した。河内における両畠山氏の抗争は義豊の子・義英へ引き継がれた。
1504年
12月
畠山尚順と畠山義英が和睦
河内の支配を争っていた畠山尚順と畠山義英が12月に和睦した。翌年には尚順が紀伊へ退き、両畠山氏の関係はその後も中央政局に左右された。
1506年
赤沢朝経が河内を攻略
細川政元の命を受けた赤沢朝経が正月から2月にかけて河内へ進攻し、畠山尚順・義英の両派を破って大和へ退かせた。
1508年
8月
赤沢長経が捕縛・処刑される
大和へ侵攻した赤沢長経は7月に奈良で筒井方と戦い、長谷で捕らえられたのち8月に処刑された。赤沢氏による大和侵攻はここで終息した。
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