武将
3件
1496年
10月
畠山尚順が河内進攻を試みる
明応の政変後に紀伊へ逃れていた畠山尚順が河内へ進攻したが、この年の反攻は成功せず、翌年に改めて攻勢をかけた。
1497年
畠山尚順が高屋城を攻略
紀伊から進攻した畠山尚順が高屋城を攻略し、畠山義豊方を退けて南河内一帯で優位に立った。
1499年
1月
畠山義豊が敗死
畠山義豊は正月10日に野崎城を攻略したが、月末に畠山尚順方との戦いに敗れて自害した。河内における両畠山氏の抗争は義豊の子・義英へ引き継がれた。
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