令制國資料
和泉国
戦国前期は細川氏のもとで畠山氏諸派や国人衆が競り合い、のち三好長慶が優勢となった。1573年に織田信長の分国となり、本能寺の変後は羽柴秀長が領して豊臣政権の支配へ移った。秀長の家が絶えると豊臣家の直轄領となり、大坂の陣を経て1615年に徳川政権下へ移った。
年表
1549年
–1559年
三好長慶・和泉国人衆ほか
三好氏三好長慶優勢のもと和泉国人衆が並存1557年
1560年
–1561年
1562年
三好長慶・畠山高政
諸勢力並立久米田の戦いで三好実休が和泉で討たれ、畠山方と根来衆が一時制したが、教興寺の戦いのあと三好方が回復した1563年
–1564年
1565年
–1569年
1570年
–1572年
1573年
–1580年
織田信長・和泉諸領主ほか
織田氏三好義継の滅亡で織田の分国となった1581年
1582年
6月21日德川家康在堺得知本能寺之變
德川家康在訪問安土後遊覽上方,在滯留的堺得知信長、信忠父子身亡,隨即與少數隨從急程返回領國。
查看這場合戰的詳情 →1583年
三好康長
羽柴氏三好康長は羽柴秀吉に従い、秀吉の甥(のちの豊臣秀次)を養子に迎えた1584年
三好康長
羽柴氏三好康長は羽柴秀吉に従い、秀吉の甥(のちの豊臣秀次)を養子に迎えた1585年
羽柴秀長
羽柴氏羽柴秀長が和泉を領有し羽柴政権の支配へ移行1586年
1587年
1588年
1589年
1590年
1591年
1592年
–1595年
1596年
–1597年
豊臣秀吉
豊臣氏豊臣秀保の死により秀長家は絶え、和泉は豊臣家の直轄となった1598年
–1599年
豊臣秀頼
豊臣氏秀吉死去後に秀頼が豊臣家直轄領を継承1600年
豊臣秀頼
石田方関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る/関ヶ原合戦後も摂津・河内・和泉の豊臣領を保持1601年
–1613年
豊臣秀頼
豊臣氏関ヶ原合戦後も摂津・河内・和泉の豊臣領を保持1614年
1615年
豊臣秀頼
豊臣氏大坂夏の陣は慶長20年5月で、年の大半は豊臣方が大坂にあった。滅亡した年を滅びる前の顔ぶれで塗るのは1590年の後北条氏と同じ扱い。1616年
徳川家康・松平忠明ほか
徳川政権大坂夏の陣で豊臣氏が滅び、松平忠明が大坂へ入った。元和偃武により全国が徳川政権下となる。