回到年代地圖

令制國資料

大隅国


年表

  1. 1550年 –1559年

    島津貴久・島津氏諸家・肝付氏・伊地知氏・蒲生氏ほか

    諸勢力並立島津貴久の統合と大隅国人衆の抵抗が並存
  2. 1560年

    島津貴久・肝付兼続ほか

    諸勢力並立島津氏が北部を押さえたが、高山城の肝付兼続をはじめ大隅南部の国人が対抗していた
  3. 1561年 –1569年

    島津貴久・肝付兼続ほか

    諸勢力並立島津氏が北部を押さえたが、高山城の肝付兼続をはじめ大隅南部の国人が対抗していた。1561年の廻坂の戦いでは島津忠将が討たれた
  4. 1570年 –1571年

    島津義久肝付兼亮

    諸勢力並立高山の肝付氏が大隅南部を保ち、島津と争った。島津貴久は1571年に死去した
  5. 1572年 –1573年

    島津義久肝付兼亮

    諸勢力並立早崎・牛根の攻防で島津が押し込み、肝付氏は1574年に降った
  6. 1574年 –1580年

    島津義久

    島津氏肝付氏の降伏で大隅は島津領となった
  7. 1581年

    島津義久

    島津氏
  8. 1582年

    島津義久

    島津氏
  9. 1583年

    島津義久

    島津氏
  10. 1584年

    島津義久

    島津氏
  11. 1585年

    島津義久

    島津氏
  12. 1586年

    島津義久

    島津氏
  13. 1587年

    島津義久

    豊臣氏
  14. 1588年

    島津義久

    豊臣氏
  15. 1589年

    島津義久

    豊臣氏
  16. 1590年

    島津義久

    豊臣氏
  17. 1591年 –1597年

    島津義久

    豊臣氏
  18. 1598年 –1599年

    島津義久

    豊臣氏
  19. 1600年

    島津義久・島津義弘ほか

    石田方当主は義久で、義弘が西軍として関ヶ原へ出た/関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る/関ヶ原合戦後に徳川政権との所領交渉を経て本領安堵
  20. 1601年

    島津義久・島津義弘ほか

    徳川政権本領安堵の正式確定は慶長7年末で、1601年は交渉継続中。当主は義久。
  21. 1602年

    島津忠恒・島津義久ほか

    徳川政権慶長7年、忠恒が伏見城で家康と会い和睦・所領安堵が確定し、義久から家督を継いだ。尚古集成館による。「家久」は慶長11年の偏諱以降の名。
  22. 1603年

    島津忠恒

    徳川政権慶長7年末に家督と本領安堵が確定した忠恒が当主。「家久」は慶長11年に家康から偏諱を受けて以降の名で、この年に置くのは先取り。尚古集成館による。
  23. 1604年 –1616年

    島津家久

    徳川政権

本國的郡(8)

囎唹郡
大隅郡
始羅郡
桑原郡
熊毛郡
肝属郡
菱刈郡
馭謨郡

廣告