1593年:明の参戦と日本軍の後退 - 战国将军地图
明の援軍が平壌を奪還すると、南下する明軍を日本軍が碧蹄館で迎え撃って撃退したが、続く幸州山城の攻撃には失敗した。戦況は膠着し、日本軍は漢城を放棄して朝鮮半島南岸へ後退、講和交渉が始まった。国内では秀吉待望の実子・秀頼が誕生し、後継問題に新たな火種を生んだ。
当年的主要事件
- 1593-05-22: 秀吉が名護屋から講和交渉を報告 — 名護屋に在陣する豊臣秀吉が北政所へ書状を送り、明使が講和条件を示したことなどを伝えた。
- 1593-08-03: 豊臣秀頼誕生 — 大坂城で豊臣秀吉の子・拾(のちの秀頼)が誕生し、豊臣家の後継をめぐる政治状況が変化した。
- 1593-08: 秀吉が伏見へ移る — 秀頼誕生後、豊臣秀吉が伏見の指月屋敷へ移り、政権の新たな拠点として本格的な城郭化を進めた。