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備前国
年表
1552年
–1559年
1560年
浦上宗景・松田元輝・宇喜多直家ほか
諸勢力並立天神山城の浦上宗景の下に宇喜多直家があり、金川の松田氏が自立していた。直家が備前を握るのは1560年代の後半1561年
–1569年
浦上宗景・松田元輝・宇喜多直家ほか
諸勢力並立天神山城の浦上宗景の下に宇喜多直家があり、金川の松田氏が自立していた。直家が備前を握るのは1560年代の後半1570年
–1574年
浦上宗景・宇喜多直家
浦上氏天神山の浦上宗景が備前に覇を唱え、宇喜多直家は沼城からその部将として働いた。1574年に直家が毛利方へ転じて主家と争う1575年
–1578年
宇喜多直家
毛利氏天神山城の落城で浦上宗景は没落し、備前は毛利方に転じた宇喜多直家が押さえた1579年
–1580年
宇喜多直家
宇喜多氏宇喜多直家は羽柴秀吉を通じて織田方へ転じ、毛利と手切れになった1581年
1582年
宇喜多直家
宇喜多氏直家死去後に秀家が家督継承(直家の没年には異説あり)1583年
1584年
1585年
1586年
1587年
1588年
1589年
1590年
1591年
–1597年
1598年
–1599年
1600年
宇喜多秀家ほか
石田方関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る/関ヶ原合戦後の改易・転封により領主を再編1601年
–1602年
小早川秀秋
徳川政権宇喜多秀家の改易を受け、小早川秀秋が備前・美作へ入部(1602年10月没)。1603年
池田忠継
徳川政権小早川秀秋の無嗣断絶を受け、慶長8年に池田輝政の次男・忠継が岡山へ入封した。輝政本人は播磨姫路。1604年
–1616年