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後北条氏の武将・河越/玉縄

北条綱成

氏綱の代から北条家の軍事的中核として台頭した武将。1546年の河越合戦では包囲された河越城を守り、氏康の来援軍と連携して上杉・足利連合軍を破ったと伝えられる。のち河越・玉縄を担い、本城と前線を結ぶ支城網の機能を体現する存在となった。氏綱との主従・養子関係の細部は、別途史料確認を要する。

出典 川越市資料/小田原デジタルミュージアム「北条氏綱」/江戸川区郷土資料室「国府台の合戦」/小田原市「氏康の領国経営」/おだわらデジタルミュージアム「北条氏康」/小田原市「北条五代にまつわる歴史」/川越市「河越夜戦跡」/鉢形城歴史館「後北条の戦略」/静岡市歴史博物館「今川義元」/北条氏康書状(永禄12年3月13日)


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3件

1526年

里見実堯が鎌倉へ侵攻

玉縄城から里見軍を撃退
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安房の里見実堯が鎌倉へ攻め込み、戦火によって鶴岡八幡宮の建物や宝物の多くが焼亡した。

1545年

上杉・古河公方連合軍が河越城を包囲

河越城主・籠城軍を指揮
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扇谷上杉朝定は山内上杉氏・古河公方足利氏と連合し、北条綱成の守る河越城を包囲した。

1546年

4月1日

河越合戦

河越城の守将
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北条氏康の援軍が河越城を包囲する上杉・古河公方連合軍を破り、扇谷上杉朝定は討死した。

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