INTERACTIVE BATTLE
1546年4月 · 河越城周辺
北条氏康の援軍が河越城を包囲する上杉・古河公方連合軍を破り、扇谷上杉朝定は討死した。
1537年に北条氏綱が河越城を奪うと、扇谷上杉朝定は山内上杉氏・古河公方と連合して奪還を図った。河越は入間川流域と武蔵北部を押さえる要地であり、その帰属は関東の勢力均衡を左右した。氏康にとっては、父氏綱が築いた武蔵進出の前線を守れるかどうかがかかる局面だった。
河越城を包囲した上杉・足利連合軍を、氏康の来援軍と城内を守った北条方が破った。扇谷上杉朝定は戦死し、扇谷上杉氏は滅亡した。山内上杉氏と古河公方も大きく後退した。
従来の関東秩序を担ってきた有力勢力を押しのけ、北条氏が関東政治の中心的な競争者になった転機である。ただし房総の里見氏、越後の上杉謙信、甲斐の武田氏との抗争は残っており、これで北条氏が関東を統一したわけではない。
データ上の注意
「河越夜戦」の通称で知られるが、川越市は夜戦だったかどうか自体を再検討している。兵数も記録ごとに大きく異なるため、少数の北条軍が大軍を奇策で破ったという定型的な英雄譚は事実として固定しない。本ページは「河越合戦」を基本名称とし、通称を併記する。
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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