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大谷吉継 — 大谷吉継の浮世絵歌川芳幾「大谷吉継の浮世絵」
大谷吉継の家紋

敦賀城主・豊臣政権の奉行実務

大谷吉継

豊臣秀吉に近侍して奉行実務を担い、敦賀を領国として港町・物流を整え、奥羽仕置や朝鮮出兵へ派遣された人物。官途名は刑部少輔である。敦賀の港と商人、土地・知行の再編、遠隔地での検地・軍政、前線諸将を説得・調整する役目が、秀吉期の吉継の仕事だった。一般に五奉行へは数えられないが、秀吉発給文書の伝達者として確認でき、重要案件では石田三成らと同行している。「三成の盟友」「友情に殉じた名将」という後世像は関ヶ原期のもので、秀吉期の行政・軍政と混同しないほうがよい。病名や発病の時期も、同時代史料で確定できる範囲は限られる。

出典 福井県文書館『福井県史』「大谷吉継の敦賀入部」/福井県文書館『福井県史』「敦賀の初期豪商」/敦賀市「大谷吉継解説シート」/敦賀市「みなとつるが山車会館」/福井県文書館「乱世に義を貫く―名将大谷吉継の実像―」


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