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織田信長の子・秀吉の養子

羽柴秀勝

1568年〜1585年

織田信長の子として永禄11年に生まれ(信長の四男ないし五男とする説あり)、豊臣秀吉の実子が早世したのち養子となり秀勝を名乗った。同じ秀勝を名乗った人物に石松丸秀勝と小吉秀勝がいるため、年表化する際は区別が必要。秀吉の長浜城代官役を務め、本能寺の変直後に秀吉とともに信長の葬儀を大徳寺で主催した。天正13年に丹波亀山城主となり城郭整備に着手したが、翌年12月10日に18歳で病没した。

出典 長浜市曳山博物館『秀吉と三人の秀勝たち』展示解説


関連する出来事

2件

1582年

10月

信長の葬儀が大徳寺で営まれる

秀吉とともに葬儀を主催した信長の子
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羽柴秀吉が織田信長の葬儀を京都の大徳寺で営み、信長の子で秀吉の養子となっていた羽柴秀勝とともに主催した。清須会議後の主導権を示す場となった。

1585年

12月10日

羽柴秀勝が丹波亀山城で病没

丹波亀山城主のまま18歳で病没した
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織田信長の子で秀吉の養子となった羽柴秀勝が、丹波亀山城主のまま18歳で病没した。同名の秀勝が複数いるため、石松丸秀勝・小吉秀勝とは区別される。

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