
征夷大将軍就任からわずか2年で、家康は将軍職を子・秀忠に譲った。将軍職が徳川家の世襲であることを内外に示す狙いがあったとされる。家康自身は駿府に退いて大御所と称し、実権は握り続けたまま、江戸の秀忠政権を後見する二元的な統治体制を築いた。
4月8日
加賀藩主・前田利長の養嗣子・前田利常が、京都で家康・秀忠に謁見し、元服して従四位下侍従兼筑前守に叙任され、松平姓を賜った。
4月12日
朝廷において、秀頼は内大臣から右大臣へ転任した。この昇進は徳川秀忠の将軍宣下の4日前であった。
6月28日
加賀藩主・前田利長が家督を養嗣子・利常に譲り、越中新川郡22万石を養老領として富山城に隠居した。