伝狩野探幽「東照大権現像」
江戸幕府 初代将軍
1543年〜1616年
今川氏の人質から出発し、桶狭間の合戦後に独立して三河を統一、遠江・駿河へ勢力を広げた。織田信長と同盟を結んで武田氏と抗争し、信長没後は豊臣秀吉に臣従して関東へ移封され、江戸を本拠に定めた。秀吉の死後は五大老の筆頭として実権を握り、1600年の関ヶ原の戦いに勝利すると諸大名の所領を大きく改めた。1603年に征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開き、1605年に将軍職を子の秀忠に譲った後も大御所として駿府から政治・外交を主導した。1614〜15年の大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、1616年に駿府で死去、久能山に葬られたのち東照大権現として祀られた。
出典 国立公文書館「徳川家康 関係年表」/静岡市「慶長期駿府城 関連年表」/国立公文書館「歴史と物語 年表」/静岡市「久能山東照宮」
徳川家康
本人
督姫
子
51件
1560年
1562年
清須同盟成立
関係人物松平元康と織田信長は清須城で会見して同盟を結び、元康は三河平定、信長は美濃攻略へ注力できる体制を整えた。
1566年
松平家康が徳川へ改姓
当事者三河を平定した松平家康は朝廷から徳川への改姓を許されて三河守に任ぜられ、領国支配の正統性を強めた。
1570年
1572年
1573年
1575年
1581年
1582年
10月
徳川家康と後北条氏が和議
徳川方旧武田領をめぐる徳川・後北条両軍の対陣は、織田信雄・信孝兄弟の勧めもあって和議に至った。家康は甲斐と南信濃を確保し、三河・遠江・駿河を合わせた五国の大名へ成長した。
天正壬午の乱
徳川方本能寺の変後に空白となった旧武田領をめぐり、徳川氏と後北条氏を中心とする争いが甲斐・信濃・上野で展開した。
1584年
1586年
1590年
1598年
1599年
前田利長が金沢城の惣構を築く
関係人物徳川家康との緊張が高まるなか、前田利長が金沢城と城下町の防備を強化する内惣構の築造を命じた。
徳川家康が伏見城へ入城
伏見城へ入城・政務を掌握豊臣秀吉の死後、五大老の徳川家康が伏見城へ入り、豊臣政権の政務を担う拠点とした。
1600年
1601年
上杉景勝が米沢へ減封
減封を決定した征夷大将軍関ヶ原合戦後、上杉景勝が会津120万石から米沢30万石へ減封され、米沢を本拠とする領国経営へ移った。
二条城築城を諸大名に命令
天下普請を命令徳川家康が京都御所の守護と上洛時の宿所とする二条城の築城を西国諸大名に命じた。
1602年
1603年
1604年
日本橋を起点とする五街道制
幕府統治江戸幕府は日本橋を全国の道程の起点と定め、東海道など五街道を軸とする交通制度の整備を進めた。
1605年
1606年
江戸城の天下普請が本格化
築城主導西国諸大名にも普請役を課した江戸城の大規模拡張が進み、本丸が整備された。
1607年
朝鮮使節来日と国交回復
外交主導豊臣政権の朝鮮侵攻で断絶した国交の回復を進める朝鮮使節が来日し、江戸で徳川政権と国書を交換した。
1608年
駿府城天守上棟
駿府城主前年の火災後に進められた駿府城再建で本丸御殿が再建され、天守が上棟した。
1609年
平戸オランダ商館設置
貿易許可オランダ東インド会社が幕府の許可を受けて平戸に商館を設け、日蘭貿易の拠点とした。
1610年
名古屋城の公儀普請開始
築城を命令徳川家康は西国・北国の大名二十家を動員し、大坂への備えと尾張徳川家の本拠となる名古屋城の築城を開始した。
1611年
1612年
名古屋城天守完成
築城主導公儀普請で築かれた名古屋城の大小天守が完成し、尾張徳川家の本拠を象徴する金鯱が大天守に上げられた。
1614年
1615年
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