
織田家の武将・摂津/伊勢
生年不詳〜1584年
織田信長の有力家臣で、摂津・伊勢方面の軍事に関わった武将。摂津は城郭・港・在地領主が密集し、荒木村重・中川清秀・高山右近ら地域勢力との共同と対立のなかで軍事が動いた。1582年の本能寺の変後は羽柴秀吉方に加わり、1584年の小牧・長久手の戦いで子の元助とともに戦死した。信長の乳兄弟とする説は広く流布するが、乳母・家格・政治的権限は別の問題として史料で確認する必要がある。
出典 小牧市「小牧・長久手の合戦 関連年表」/小牧市「小牧・長久手の合戦」/姫路市「池田輝政と姫路城」
池田恒興
本人
池田元助
子
4件
1582年
7月
清洲会議
会議に臨んだ四宿老の一人本能寺の変で織田信長と嫡男の信忠が死去したあと、柴田勝家・羽柴秀吉・丹羽長秀・池田恒興の四宿老が尾張国清洲城に集まり、織田家の後継と遺領配分を協議した会議。信長の嫡孫である三法師が跡目を継ぎ、信雄が尾張、信孝が美濃を領することとなった。
7月2日
山崎の戦い
秀吉方の将本能寺の変の11日後、備中から引き返した羽柴秀吉が明智光秀を山崎で破った合戦。光秀の政権は10日あまりで潰え、秀吉が織田家中で抜きん出る契機となった。
1584年
3月
小牧・長久手の戦い
羽柴方の将羽柴秀吉と、織田信雄・徳川家康が尾張で争った戦役。小牧山と楽田で長い対陣が続くなか、三河へ迂回した羽柴勢が長久手で徳川勢に討たれた。戦術では家康が勝ち、政略では秀吉が信雄と単独講和して目的を遂げた。
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