武将
6件
1473年
5月11日
細川勝元死去
東軍の中心人物・細川勝元が死去し、細川政元が後継となる。
1474年
4月3日
細川政元と山名政豊が和睦
東西両軍の中核家同士が和睦するが、大内・畠山らは戦闘を継続する。
1501年
6月
細川政元が家法を制定
細川政元が文亀元年閏6月に「文亀御禁制条目」を定めた。養子・聡明丸への家督委譲を表明するなか、家臣団の統制を主眼とした規定だった。
1502年
赤沢朝経が大和へ侵攻
細川政元の内衆・赤沢朝経が大和へ侵攻し、筒井順盛らを破って法華寺・西大寺を焼いた。大和の寺社領と国人勢力は大きな圧迫を受けた。
1506年
赤沢朝経が河内を攻略
細川政元の命を受けた赤沢朝経が正月から2月にかけて河内へ進攻し、畠山尚順・義英の両派を破って大和へ退かせた。
1507年
永正の錯乱
細川政元の暗殺を契機に、将軍家・細川家をめぐる政争が激化した。
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