中世後期に中国・琉球・東南アジアへ通じる対外貿易港として繁栄し、島津氏の海外交易と南九州支配を支えた。豊臣秀吉の九州平定後も島津領に残り、統制下の交易港として利用された。
中世の坊津は泊・久志など複数の浦からなる広域的な港であり、座標は中心的港町である坊泊地区の代表点とした。
確実度:中本文に書いた沿革が、出典でどこまで裏づけられているかを示す。座標の精度や年代の確度ではない。