明・朝鮮との交易で富が集積し、大内氏・大友氏・龍造寺氏・島津氏らの争奪によってたびたび戦火を受けた。1587年以後は豊臣秀吉が太閤町割で復興し、黒田氏の支配下でも商業港として機能した。
中世の博多湾岸は埋立てで大きく変化しており、座標は中世都市域に接する博多埠頭付近の代表点である。
確実度:高本文に書いた沿革が、出典でどこまで裏づけられているかを示す。座標の精度や年代の確度ではない。