大輪田泊を前身とし、足利義満のもとで日明貿易の拠点として整備された。応仁・文明の乱で焼亡して国際港の役割は堺へ移り、戦国末期に池田恒興が兵庫城を築いて港町を掌握、豊臣秀吉の時代に再整備された。
文安2年(1445年)には年間5000隻ほどの入港があったと伝わるが、応仁・文明の乱による焼亡のあと、どこまで港勢が戻ったかは公開資料では確定できない。
中世の湊域は現在の海岸線と一致しないため、座標は兵庫城跡を含む中之島地区の代表点である。
確実度:中本文に書いた沿革が、出典でどこまで裏づけられているかを示す。座標の精度や年代の確度ではない。
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