1559年:織田信長の岩倉城攻略

1559年:織田信長の岩倉城攻略

織田信長が岩倉城を攻略し、尾張北部の織田伊勢守家を滅ぼした。尾張統一への過程が大きく進んだ。

年内の主な出来事

1月

岩倉城攻略

織田信長が岩倉城を攻略して尾張北部の織田伊勢守家を滅ぼし、尾張のほぼ全域を掌握した。

出典 岩倉市「山内一豊公と岩倉の歴史」

2月

織田信長が初めて上洛

尾張で勢力を固めつつあった織田信長が初めて上洛し、将軍足利義輝に謁見した。信長は京都に加えて奈良・堺も見物した。

出典 『言継卿記』永禄2年2月2日条/『信長公記』首巻

2月18日

筑紫惟門が博多を襲撃

大友氏に反旗を翻した筑紫惟門が約二千の兵で博多を襲撃し、大友方の代官を追った。博多は焼き打ちの被害を受けた。

出典 福岡市博物館「戦国時代の博多展3―博多焼打―」/鳥栖市「国史跡勝尾城筑紫氏遺跡」

4月

長尾景虎が再上洛

長尾景虎が二度目の上洛を行い、将軍足利義輝に謁見した。正親町天皇から盃を賜り、信濃・関東での軍事行動について幕府の支持を得た。

出典 長野市誌(ADEAC)/埼玉県立文書館「長尾景虎から関東管領上杉輝虎へ」

11月

大友義鎮が九州探題に補任

大友義鎮が将軍足利義輝から九州探題職に補任された。同年に得た豊前・筑前・筑後の守護職とあわせ、北部九州支配の正統性を強めた。

出典 大分市「史跡大友氏遺跡整備基本計画(第1期)」

月日不詳
所領役帳の成立

氏康は『小田原衆所領役帳』を成立させ、所領に応じた軍役・普請役を定めて家臣団動員の体制を確立。十八の衆を統制。

北条氏政が家督を継承

北条氏康は氏政に家督を譲った。氏康は以後1571年まで後見として権力を保持した。

出典 小田原市「北条氏五代100年の歴史」

ガスパル・ヴィレラが京都に入る

イエズス会宣教師ガスパル・ヴィレラが日本人修道士ロレンソらと京都に入り、継続的な布教活動を始めた。翌年には将軍足利義輝の庇護を受けた。

出典 宮内庁「講書始におけるご進講の内容(平成24年)」/東京大学史料編纂所「日本関係海外史料」