
近江へ逃れていた将軍・足利義輝は京奪還を図って挙兵し、京都北白川で三好長慶方と激突したが敗れた。しかし同年11月に両者は和睦し、義輝は5年ぶりに京都へ帰還を果たした。これにより将軍権威は一時的に回復し、諸国大名の将軍参賀も相次いだ。
6月
北条氏康の圧力で関宿城主・簗田晴助が本拠を古河城へ移座。古河公方・足利義氏が関宿城を新たな御座所とし、氏康は古河公方への影響力を強めた。
下野へ侵入した長尾景虎に与する佐野豊綱が多功城を攻めたが、多功長朝がこれを討ち取り、越後勢を退けた。
出典 上三川町「上三川町歴史年表」「多功城址」
7月
京の奪還を目指した足利義輝が北白川で三好長慶方に敗れた。同年11月に和睦が成り、義輝は5年ぶりに京へ戻った。
この合戦を詳しく見る →出典 京都府教育委員会 文化財保護課「北白川(勝軍山)城跡」/Wikipedia「北白川の戦い」
11月
龍造寺隆信が江上武種を先制攻撃。先陣の小田政光が莞牟田縄手で戦死したのち、隆信が蓮池城を急襲して落とした。
松平元康が今川方として、織田方へ移った寺部城主・鈴木重辰を攻めたと伝わる。元康の初陣とされる。
織田信長が岩倉城の織田氏を浮野で破った。翌年の岩倉城落城により、尾張は信長の手に統一される。
この合戦を詳しく見る →出典 愛知県「岩倉城跡(あいち歴史観光)」/一宮市「一宮市ウォーキングマップ(浮野合戦場跡)」/岩倉市「山内一豊公と岩倉の歴史」