秀吉は太政大臣に任じられ、朝廷から豊臣の姓を賜り、名実ともに天下人としての地位を固めた。同年4月、島津氏の圧迫を受けていた豊後の大友宗麟が大坂城の秀吉のもとを訪れて救援を要請し、これを機に翌年の九州平定へとつながる出兵の準備が進められた。
2月
豊臣秀吉が京都の内野に政庁兼邸宅となる聚楽第の造営を始めた。
5月
豊臣秀吉は妹の朝日姫を徳川家康へ嫁がせ、豊臣・徳川間に姻戚関係を作った。さらに母の大政所を岡崎へ送り、家康が秀吉へ臣従する交渉を親族関係と政治的保証で支えた。
出典 国立公文書館「秀吉への臣従」/東京大学史料編纂所『大日本史料 第十一編之二十九』
10月27日
徳川家康が大坂城へ登城して豊臣秀吉に謁見し、豊臣政権下の大名秩序に組み込まれた。
豊臣秀吉が太政大臣に任じられ、朝廷の最高官職を得た。