1593年:明の参戦と日本軍の後退

1593年:明の参戦と日本軍の後退

明の援軍が平壌を奪還すると、南下する明軍を日本軍が碧蹄館で迎え撃って撃退したが、続く幸州山城の攻撃には失敗した。戦況は膠着し、日本軍は漢城を放棄して朝鮮半島南岸へ後退、講和交渉が始まった。国内では秀吉待望の実子・秀頼が誕生し、後継問題に新たな火種を生んだ。

年内の主な出来事

4月

日本軍が漢城から撤退

明軍の反攻と兵粮不足を受け、日本軍は漢城を放棄して朝鮮半島南部へ後退した。以後は南岸の倭城を拠点としながら、明・朝鮮側との講和交渉が進められた。

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出典 国立公文書館「年表―歴史と物語」/九州国立博物館「メールマガジン341号」

5月22日

秀吉が名護屋から講和交渉を報告

名護屋に在陣する豊臣秀吉が北政所へ書状を送り、明使が講和条件を示したことなどを伝えた。

8月

秀吉が伏見へ移る

秀頼誕生後、豊臣秀吉が伏見の指月屋敷へ移り、政権の新たな拠点として本格的な城郭化を進めた。

8月3日

豊臣秀頼誕生

大坂城で豊臣秀吉の子・拾(のちの秀頼)が誕生し、豊臣家の後継をめぐる政治状況が変化した。