
明の援軍が平壌を奪還すると、南下する明軍を日本軍が碧蹄館で迎え撃って撃退したが、続く幸州山城の攻撃には失敗した。戦況は膠着し、日本軍は漢城を放棄して朝鮮半島南岸へ後退、講和交渉が始まった。国内では秀吉待望の実子・秀頼が誕生し、後継問題に新たな火種を生んだ。
4月
明軍の反攻と兵粮不足を受け、日本軍は漢城を放棄して朝鮮半島南部へ後退した。以後は南岸の倭城を拠点としながら、明・朝鮮側との講和交渉が進められた。
このできごとを詳しく見る →出典 国立公文書館「年表―歴史と物語」/九州国立博物館「メールマガジン341号」