INTERACTIVE BATTLE

第二次川中島の戦い

1555年8月〜11月 · 信濃国川中島・善光寺平(現在の長野市)

武田晴信と長尾景虎が犀川をはさんで200日余り対陣した戦い。旭山城が落ちないため決戦にならず、今川義元の仲介で和睦した。

背景

善光寺別当の栗田氏が武田方へ通じ、旭山城に拠った。景虎は善光寺の奪回を目指して出陣し、善光寺の東の横山城に陣を構えた。

結末

本格的な戦闘に至らないまま今川義元の仲介で和睦した。和睦の条件に旭山城の破却が含まれ、城は壊された。

第二次川中島の戦い — 信濃国川中島・善光寺平(現在の長野市)

戦況年表

1 1555年夏

栗田氏が旭山城に拠る

善光寺別当の栗田氏が武田方へ通じ、善光寺の西にそびえる旭山城に拠った。武田方は兵と弓・鉄炮を送って城を支えた。

栗田寛久

旭山城に拠る

武田晴信

旭山城へ兵を送る

出典34·確実度:中

2 1555年8月

景虎が葛山城を築いて対峙する

景虎は善光寺の東の横山城に陣を構え、裾花川の対岸に葛山城を築いて旭山城と向かい合った。

長尾景虎

葛山城を築く

出典34·確実度:中

3 1555年8月〜11月

犀川をはさんで200日余り対陣する

両軍は犀川をはさんだまま動かず、200日余りの対陣となった。旭山城が落ちないかぎり、景虎は川を越えて決戦を挑めなかった。

長尾景虎

犀川の北に留まる

武田晴信

犀川の南で動かない

出典125·確実度:中

4 1555年11月

今川義元の仲介で和睦する

今川義元の仲介で和睦が成り、両軍は兵を退いた。和睦の条件に旭山城の破却が含まれ、城は壊された。

今川義元

両者の仲介に入る

出典45·確実度:中

歴史的な位置づけ

川中島の五度の対陣のうち、最も長い対陣となった。決戦ではなく城と兵站の押し合いで決まったことが、この戦いの性格を示している。

主な関係人物

上杉氏

1名

長尾景虎

長尾軍総大将

善光寺平の奪回を目指したが、旭山城を落とせず決戦に持ち込めなかった。のちの上杉謙信。

出典5·確実度:中

武田氏

2名

武田晴信

武田軍総大将

旭山城を支えて景虎の南下を止め、対陣を長引かせた。のちの武田信玄。

出典5·確実度:中


栗田寛久

旭山城の守将

善光寺別当。武田方に通じて旭山城に拠り、長尾方の南下を阻んだ。

出典3·確実度:中

今川氏

1名

今川義元

和睦の仲介

甲相駿三国同盟の一角として仲介に入り、和睦を成立させた。

出典5·確実度:中

データ上の注意

日付は西暦(ユリウス暦)で表記する。出典は旧暦を用いており、7月の出陣から閏10月15日の和睦までが西暦の1555年8月から11月末にあたる。対陣の開始時期は資料により3月とも7月とも書かれるため、表示は幅を持たせる。兵数と支援物資の数値は軍記由来のため本文には書かない。

参照した資料

  1. 長野市「川中島古戦場史跡公園」
  2. ながの観光net「川中島の戦い 史跡ガイド」
  3. Wikipedia「旭山城」
  4. 城郭マスタ(shiro.geojson)
  5. Wikipedia「川中島の戦い」

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1555年の勢力図を見る
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