
後北条氏 初代
生年不詳〜1519年
後北条氏の初代。室町幕府に仕える伊勢氏の出身で、駿河今川氏との関係を足場に1493年に伊豆へ進出し、堀越公方足利茶々丸の御所を攻めて韮山を拠点とした。相模では1501年3月以前に小田原を領有し、1516年に新井城で三浦義同・義意父子を滅ぼして、伊豆・相模を基盤とする領国を築いた。「北条早雲」は後世に定着した呼称で、生年にも1432年説・1456年説がある。農民からの成り上がりという物語や火牛の計は、いずれも後世の逸話・伝承である。
出典 小田原市「北条氏五代100年の歴史」/小田原北条氏ゆかりの市町「堀越御所攻め」/静岡県立中央図書館「伊豆 歴史散歩」/小田原市教育研究所「北条五代100年 年表」/小田原市「小田原開府500年」/小田原市「北条五代にまつわる逸話」/国立公文書館デジタルアーカイブ「早雲寺殿廿一箇条」/神奈川県立図書館「早雲寺殿廿一箇条」
伊勢宗瑞
本人
北条氏綱
子
12件
1493年
1494年
上杉定正が荒川で急死
扇谷上杉方に従軍山内上杉顕定を攻めるため伊勢宗瑞と出陣した扇谷上杉定正が、荒川を渡ろうとして落馬し急死した。
1496年
以降
伊勢宗瑞が小田原城を支配下に置く
小田原城を攻略・相模進出の拠点化伊勢宗瑞が大森氏から小田原城を支配下に置いた。小田原市の最新年表は掌握時期を1496年以降としており、従来の1495年説を確定年として採用しない。
1498年
伊勢宗瑞が深根城を攻略
深根城攻略・茶々丸追討伊勢宗瑞が南伊豆の深根城を攻略し、足利茶々丸を死へ追い込んだと伝えられる。伊豆侵攻開始から続いた抵抗は終局を迎えた。
1504年
9月
立河原の戦い
参戦・関係山内上杉顕定方と扇谷上杉朝良・今川氏親・伊勢宗瑞方が武蔵の立河原で激突し、扇谷方が勝利した。顕定はのちに越後勢の援軍を得て反撃したため、長享の乱はこの戦いだけでは終結しなかった。
1505年
1509年
1510年
権現山合戦
参戦・関係伊勢宗瑞方が拠点とした権現山を山内・扇谷両上杉氏の軍が攻撃し、激戦となった。相模・武蔵をめぐる伊勢氏と上杉氏の抗争が本格化した。
1512年
1516年
1518年
伊勢宗瑞が氏綱へ家督を譲る
家督を氏綱へ譲る伊勢宗瑞は嫡男の氏綱へ家督を譲った。氏綱は同年に虎の印判を用いた文書を発給し、領国支配を進めた。
1519年
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