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北条氏綱の家紋

後北条氏 二代当主

北条氏綱

生年不詳〜1541年

後北条氏の二代当主。1518年に宗瑞から家督を継ぎ、1523年に伊勢から北条へ改姓して、鎌倉北条氏の名が関東に持つ記憶を用い、相模支配の正統性を示した。同じ1518年に初見の虎朱印は1590年の滅亡まで歴代当主が用い、当主が替わっても続く家の公文書の仕組みとなった。1524年に江戸城、1537年に河越城を攻略し、1538年の第一次国府台合戦で小弓公方足利義明を破って、武蔵・下総へ前線を伸ばした。

出典 小田原市「二代氏綱の北条改姓」/小田原市「氏綱展」/国立歴史民俗博物館「北条家朱印状」/国立公文書館「北条家裁許印判状」/川崎市市民ミュージアム「虎の印判状」/川越市資料/小田原デジタルミュージアム「北条氏綱」/江戸川区郷土資料室「国府台の合戦」

家系図

資料で確認できた関係だけを示す。一族の全員を網羅したものではない。

関連する出来事

4件

1518年

伊勢宗瑞が氏綱へ家督を譲る

家督継承
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伊勢宗瑞は嫡男の氏綱へ家督を譲った。氏綱は同年に虎の印判を用いた文書を発給し、領国支配を進めた。

1523年

北条氏綱が伊勢から北条へ改姓

当事者
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氏綱は6月12日より後、9月13日より前に伊勢から北条へ改姓した。鎌倉北条氏の名跡を継ぐことで、相模支配の正統性を示そうとしたと考えられている。

1524年

1月

高輪原合戦と江戸城攻略

扇谷上杉方を破り江戸城を攻略
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北条氏綱は1月13日に高輪原で扇谷上杉朝興を破り、太田資高の離反を得て江戸城を攻略した。江戸城は北条氏の武蔵進出の拠点となった。

1538年

10月

第一次国府台合戦

後北条軍総大将・勝利
この合戦を詳しく見る →

足利義明・里見義堯らの房総軍が国府台で北条氏綱軍と戦い、北条軍が勝利して義明は戦死した。

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