織田家の重臣・石山戦争
織田信長の重臣で、1570年に始まる石山本願寺との戦争と畿内の軍事を担った。石山戦争は城一つの包囲ではなく、海上補給、和泉・河内・摂津の城、門徒・国衆、毛利水軍が結び付いた長期戦で、信盛の任務は信長の軍事を畿内の地域勢力へ接続し、包囲を維持することにあった。1580年、子の信栄とともに信長から追放され、のち高野山へ移った。追放状として知られる「十九か条」は重要な文書だが、成立・伝来と各条の事実は照合を要し、無能・怠慢という人物評だけを結論にはできない。
出典 大阪市「石山本願寺と大坂城」/国立国会図書館デジタルコレクション「信長公記」検索/高野山霊宝館
佐久間信盛
本人
佐久間信栄
子
3件
1560年
6月12日
桶狭間の戦い
織田方の砦守備・前線部隊今川義元の尾張侵攻に対し、織田信長が桶狭間・田楽狭間周辺で今川本隊を攻撃し、義元が戦死した合戦。鳴海城・大高城と、それを封鎖する丸根・鷲津・丹下・善照寺・中島の砦をめぐる一連の攻防として起きた。
1570年
7月30日
姉川の戦い
織田方の将金ヶ崎で浅井長政に背かれた織田信長が、徳川家康とともに近江へ攻め込み、浅井・朝倉軍と姉川で戦った合戦。織田・徳川方が勝ったが、浅井氏を滅ぼすまでには至らなかった。
1573年
1月25日
三方ヶ原の戦い
織田方の援軍西上の途にあった武田信玄が遠江へ攻め入り、浜松城を素通りして北へ向かった。誘い出された徳川家康は三方ヶ原の台地で追撃を受け、生涯でも指折りの大敗を喫した。
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