INTERACTIVE BATTLE

姉川の戦い

1570年7月30日 · 近江国姉川・横山城周辺

金ヶ崎で浅井長政に背かれた織田信長が、徳川家康とともに近江へ攻め込み、浅井・朝倉軍と姉川で戦った合戦。織田・徳川方が勝ったが、浅井氏を滅ぼすまでには至らなかった。

背景

越前の朝倉義景を攻めた信長は、同盟者であったはずの浅井長政に背後を突かれて京へ逃れた(金ヶ崎の退き口)。体勢を立て直した信長は、家康の援軍を得て近江へ入り、浅井方の横山城を囲む。

結末

織田・徳川方が勝利し横山城は落ちたが、浅井長政は小谷城へ退いて抵抗を続けた。浅井・朝倉の滅亡は三年後まで持ち越される。

姉川の戦い — 近江国姉川・横山城周辺

戦況年表

1 7月21日

信長が岐阜を発つ

金ヶ崎で背かれた信長は、体勢を立て直して再び近江へ向かった。徳川家康も三河から兵を率いて合流する。

織田信長

岐阜を発ち近江へ

徳川家康

三河から援軍に加わる

出典12·確実度:中

2 7月23日

虎御前山に布陣し小谷城下を焼く

織田軍は小谷城を望む虎御前山に陣を敷き、城下に火を放った。浅井方を城から誘い出す狙いだったとみられる。

織田信長

虎御前山に布陣

出典12·確実度:中

3 7月26日

織田軍が横山城を囲む

信長は小谷城を直接攻めず、南の要地である横山城の包囲に移った。浅井方は城を見捨てられず、朝倉の援軍とともに動く。

浅井長政

横山城を救うため動く

出典12·確実度:中

4 7月30日 早朝

姉川をはさんで両軍が激突する

夜明けとともに姉川の浅瀬で戦端が開かれた。織田軍は浅井軍と、徳川軍は朝倉軍と向かい合い、川中での乱戦となる。

論点

兵力や布陣の細部、徳川勢の側面攻撃が勝敗を決めたとする語りには、後世に整えられた部分がある。

織田信長

浅井軍と正面から戦う

徳川家康

朝倉軍と向かい合う

本多忠勝

姉川で戦功を挙げる

朝倉景健

浅井方の援軍を率いる

出典12·確実度:論争あり

5 7月30日

浅井・朝倉軍が退き横山城が落ちる

支えきれなくなった浅井・朝倉軍は退き、横山城は織田方の手に落ちた。長政は小谷城へ退いてなお抗い続ける。

浅井長政

小谷城へ退く

出典12·確実度:中

歴史的な位置づけ

信長包囲網の始まりを告げる戦いとなった。徳川家康が織田方の同盟者として畿内近くの戦場に出た最初の大きな合戦でもある。

主な関係人物

織田氏

4名

織田信長

織田方総大将

金ヶ崎の後、近江へ攻め込んで浅井・朝倉軍を破った。

出典1·確実度:高


柴田勝家

織田方の将

織田軍の一手を率いた。

出典1·確実度:中


羽柴秀吉

織田方の将

当時は木下姓。織田軍の一手を率いた。

出典1·確実度:中


佐久間信盛

織田方の将

織田軍の一手を率いた。

出典1·確実度:中

徳川氏

3名

徳川家康

徳川方総大将

朝倉軍と向かい合い、側面から攻めかかったと伝わる。

出典1·確実度:高


本多忠勝

徳川方の将

姉川で戦功を挙げたと伝わる。

出典1·確実度:中


榊原康政

徳川方の将

朝倉軍への攻撃に加わったと伝わる。

出典1·確実度:中

浅井氏

1名

浅井長政

浅井方総大将

織田軍と正面から戦い、敗れて小谷城へ退いた。

出典1·確実度:高

朝倉氏

1名

朝倉景健

朝倉方の将

浅井氏の求めに応じて援軍を率いた。

出典1·確実度:中

データ上の注意

日付は西暦(ユリウス暦)で表記する。出典側は旧暦の日付を用いており、本ページの7月30日は旧暦の元亀元年6月28日にあたる。姉川の合戦地は横山城の北方にあたるが、地点としては包囲の対象であった横山城で代表させている。

参照した資料

  1. Wikipedia「姉川の戦い」
  2. 城郭マスタ(shiro.geojson)
  3. 長浜米原観光協会「虎御前山」
  4. 地理院地図 地名検索(虎御前山)

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1570年の勢力図を見る
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