武将
9件
1517年
有田中井手の戦い
毛利・吉川方は有田中井手で武田元繁方を破り、元繁を討ち取った。安芸の勢力関係を変える毛利氏初期の重要な勝利となった。
1525年
毛利元就が大内氏方へ転じる
毛利元就は尼子氏方から大内氏方へ転じ、以後は大内陣営の安芸・備後両国における軍事指揮官として活動した。
1529年
毛利元就が高橋氏を滅ぼす
毛利元就は大内軍と備後の和智氏・安芸の宍戸氏の援軍を得て尼子方の高橋氏を滅ぼし、安芸・備後・石見の国衆連合で主導的地位を築いた。
1540年
9月
吉田郡山城の戦い
尼子晴久が吉田郡山城を攻めたが、毛利元就は大内氏の援軍を得て防衛に成功した。
1555年
10月
厳島の戦い
毛利元就が厳島へ渡海して陶晴賢の本陣を突き、これを破った。大内氏の実権は崩れ、毛利氏が中国地方で台頭する。
1557年
5月
防長平定
毛利元就が防長へ進出し、大内氏の旧領である周防・長門を掌握した。
5月1日
防長経略と大内氏の滅亡
厳島の勝利のあと、毛利元就が周防・長門へ攻め入り、山口を落として大内義長を長門へ追った。義長は長福寺で自刃し、大内氏は滅びた。
1560年
2月
石見銀山の掌握強化
毛利元就が石見銀山の支配を固め、財政基盤を一層強化する。
毛利氏の中国支配拡大
毛利元就が山陰の尼子残党勢力を攻撃し、勢力圏を拡大。
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