信長が岐阜へ帰国した隙を突き、三好三人衆ら1万の軍勢が将軍・足利義昭の仮御所・本圀寺を襲撃した。籠城した明智光秀らの奮戦と諸将の後詰めで持ちこたえるうちに、報せを受けた信長がわずか2日で京都に到着。三好勢は撃退され、信長は義昭のために本格的な御所(二条城)の造営に着手した。
織田信長は前年に将軍となった足利義昭のため、旧武衛陣跡を拡張して城郭様式の二条御所を築いた。
武田信玄が小田原城を攻撃したが、北条氏政は城を守り抜いた。北条と武田の対立が深まった。
武田信玄の駿河侵攻を受け、北条氏康・氏政は長く敵対していた上杉謙信との和睦を進めた。両氏は越相同盟を結び、武田氏に対抗する外交関係へ移った。
出典 おだわらデジタルミュージアム「北条氏康書状(永禄12年3月13日)」