1588年:聚楽第行幸と刀狩令

1588年:聚楽第行幸と刀狩令

4月、後陽成天皇が秀吉の邸宅・聚楽第に行幸し、諸大名は天皇の御前で秀吉への忠誠を誓う起請文に署名した。これにより公武一体を演出した秀吉政権の権威は頂点に達した。同年7月には百姓から武器を没収する刀狩令を発し、兵農分離を進めて統一政権の支配体制を固めた。

年内の主な出来事

4月

後陽成天皇の聚楽第行幸

後陽成天皇が聚楽第へ行幸し、豊臣秀吉は諸大名に天皇と自身への忠誠を誓わせた。

6月

郡山合戦

伊達政宗と、佐竹・蘆名方が郡山周辺で対陣・交戦した一連の戦闘。長期対陣の後、講和が成立した。

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出典 郡山市地域史資料/南奥州の佐竹・伊達抗争に関する調査ノート

7月

刀狩令

豊臣秀吉が百姓から刀・脇差・槍・鉄砲などの武器を取り上げる刀狩令を発した。

月日不詳
北条氏規が上洛して秀吉に従属表明

北条氏規が聚楽第で豊臣秀吉に謁見し、従属を表明した。北条氏の豊臣政権への組み込みが進んだ。