INTERACTIVE BATTLE

郡山合戦

1588年6月〜7月 · 陸奥国安積郡・郡山周辺

伊達政宗と、佐竹・蘆名方が郡山周辺で対陣・交戦した一連の戦闘。長期対陣の後、講和が成立した。

背景

人取橋合戦後も伊達氏と佐竹・蘆名方の対立は続き、南奥州の国衆・城・交通路をめぐる争いが郡山周辺へ移った。

結末

両軍は決定的勝利を得ないまま講和したが、蘆名家中の分裂と伊達氏の調略は進み、翌年の摺上原合戦へつながった。

郡山合戦 — 陸奥国安積郡・郡山周辺

戦況年表

1 1588年6月

両軍が郡山周辺で対陣する

伊達軍と佐竹・蘆名方が郡山周辺の城と交通路をめぐって対陣した。

伊達政宗

伊達軍の指揮

佐竹義重

佐竹方の中心

蘆名義広

蘆名方当主

出典12·確実度:中

2 1588年夏

局地戦と対陣が続く

決戦一度で終わったのではなく、局地戦、調略、援軍調整を伴う対陣が続いた。

伊達政宗

伊達軍の指揮

佐竹義重

佐竹方の中心

蘆名義広

蘆名方当主

出典12·確実度:中

3 1588年7月頃

講和が成立する

両軍の間で講和が成立したが、南奥州の対立そのものは解消せず、翌年の会津攻防へ続いた。

伊達政宗

伊達軍の指揮

佐竹義重

佐竹方の中心

蘆名義広

蘆名方当主

出典12·確実度:中

歴史的な位置づけ

人取橋と摺上原をつなぐ独立した局面であり、政宗と義重の一騎打ちではなく南奥州の複数勢力による抗争として示す。

主な関係人物

伊達氏

1名

伊達政宗

伊達軍の指揮

伊達方

出典12·確実度:中

佐竹氏

1名

佐竹義重

佐竹方の中心

佐竹・蘆名方

出典12·確実度:中

蘆名氏

1名

蘆名義広

蘆名方当主

佐竹・蘆名方

出典12·確実度:中

データ上の注意

兵数・損害・個人武功は調査ノートで確認できる範囲に限定する。

参照した資料

  1. 郡山市地域史資料
  2. 南奥州の佐竹・伊達抗争に関する調査ノート

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1588年の勢力図を見る
1588年の勢力図を見る

広告