講和交渉が決裂すると、秀吉は朝鮮への再出兵(慶長の役)を命じた。日本水軍は漆川梁で朝鮮水軍を壊滅させ、陸上でも南原城を攻略するなど攻勢を強めた。国内では前年に捕らえられた宣教師・信徒26人が長崎で処刑され、キリスト教徒への弾圧が新たな段階に入った。
2月5日
京都・大坂などで捕らえられた宣教師と信徒26人が長崎西坂で処刑された。
豊臣秀吉が再出兵を命じ、日本の諸大名が渡海したが、講和交渉はまとまらず。秀吉死去後、在朝鮮軍は撤退した。
豊臣政権が朝鮮半島への再出兵を命じ、肥前名護屋を国内拠点として諸大名の軍勢が再び渡海した。