INTERACTIVE MARCH
1597年7月〜1598年11月 · 朝鮮半島南部
講和が破れて再び渡海した日本軍は、漆川梁で朝鮮水軍を破り南原城を落として全羅道を押さえた。だが稷山で北上を止められ、復帰した李舜臣に鳴梁で敗れて南岸の倭城に釘付けとなる。1598年8月の秀吉の死を受けて撤退し、11月の露梁海戦で7年の戦役が終わった。

漆川梁の海戦
李舜臣に代わった元均の朝鮮水軍が夜襲を受けて壊滅した。朝鮮水軍がほぼ全滅した唯一の海戦で、日本軍は制海権を得て全羅道へ進める。
夜襲を受け朝鮮水軍が壊滅する
肥前名護屋から再出兵を命じる
出典3·確実度:高
南原城の戦い
稷山の戦い
鳴梁の海戦
復帰した李舜臣がわずか13隻で、狭い水道の潮流を使って日本水軍を退けた。海路が再び断たれ、日本軍は南岸から動けなくなる。
13隻で潮流を使い日本水軍を退ける
出典3·確実度:高
蔚山城の戦い
泗川の戦い
順天城の戦い
最も西に置かれた順天倭城で、小西行長が明の劉綎と李舜臣の水陸からの攻めを受けた。城は落ちず、行長は撤退の交渉に入る。
出典3·確実度:高
露梁の海戦
撤退する日本水軍を明・朝鮮の連合水軍が追い、最後の大海戦となった。李舜臣はこの戦いで流れ弾に当たって戦死する。これをもって7年の戦役が終わった。
露梁で戦死する
明の水軍を率いて追撃する
出典3·確実度:高
7名
3名
三道水軍統制使
鳴梁で復帰し、露梁海戦で戦死した
出典3·確実度:高
三道水軍統制使
漆川梁で敗れ戦死した
出典3·確実度:高
都元帥
陸の朝鮮軍を統べた
出典3·確実度:高
3名
経理
蔚山城の包囲を指揮した
出典3·確実度:高
提督
順天倭城を陸から攻めた
出典3·確実度:高
水軍都督
李舜臣と組んで露梁で日本水軍を追った
出典3·確実度:高
データ上の注意
局面の座標は市郡の位置で、番地までは詰めていない。朝鮮半島の面は Natural Earth から起こした八道を使っている
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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