INTERACTIVE BATTLE

人取橋合戦

1585年11月 · 陸奥国安達郡・人取橋周辺

伊達政宗軍と、佐竹義重を中心に蘆名氏などが加わった反伊達連合軍が人取橋周辺で戦った合戦。伊達軍は苦戦したが、連合軍は撤退した。

背景

二本松義継による伊達輝宗拉致とその死後、政宗が二本松攻めを進めたため、南奥州の諸勢力が伊達氏の拡大を警戒して連合した。

結末

伊達軍は壊滅を免れ、連合軍は佐竹領内の情勢などを背景に撤退した。政宗による南奥州進出は止まらず、郡山合戦へ対立が続いた。

人取橋合戦 — 陸奥国安達郡・人取橋周辺

戦況年表

1 1585年11月

反伊達連合軍が人取橋へ進む

佐竹義重を中心に蘆名氏などの軍勢が二本松救援へ進み、伊達政宗軍と対峙した。

伊達政宗

伊達軍の指揮

佐竹義重

連合軍の中心

蘆名義広

蘆名方当主

出典123·確実度:中

2 戦闘当日

伊達軍が苦戦する

伊達軍は連合軍の攻撃を受けて苦戦し、政宗にも危険が及んだ。個別の武勇談は軍記と確認史実を分ける。

伊達政宗

伊達軍の指揮

佐竹義重

連合軍の中心

蘆名義広

蘆名方当主

出典123·確実度:中

3 戦後

連合軍が撤退する

連合軍は伊達軍を完全には崩さず撤退した。撤退理由は佐竹領内の情勢を含む複合要因として扱う。

伊達政宗

伊達軍の指揮

佐竹義重

連合軍の中心

蘆名義広

蘆名方当主

出典123·確実度:中

歴史的な位置づけ

政宗個人の危機だけでなく、佐竹・蘆名・二本松などの婚姻・領国秩序と伊達氏の拡大が衝突した戦いとして扱う。

主な関係人物

伊達氏

1名

伊達政宗

伊達軍の指揮

伊達方

出典123·確実度:中

佐竹氏

1名

佐竹義重

連合軍の中心

反伊達連合

出典123·確実度:中

蘆名氏

1名

蘆名義広

蘆名方当主

反伊達連合

出典123·確実度:中

データ上の注意

兵数・損害・個人武功は調査ノートで確認できる範囲に限定する。

参照した資料

  1. 福島県「中世」
  2. 本宮市地域資料
  3. 南奥州の佐竹・伊達抗争に関する調査ノート

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1585年の勢力図を見る
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