INTERACTIVE BATTLE
1585年6月〜7月 · 阿波・讃岐・伊予・土佐
羽柴秀吉が長宗我部元親の四国支配に対して三方面から征討軍を送り、元親を降伏させた戦役。元親は土佐一国へ退き、四国は豊臣政権の国分に組み込まれた。
長宗我部元親は土佐を基盤に四国の大部分へ勢力を広げていた。畿内周辺で優位を固めた秀吉は、毛利・宇喜多などを動員し、四国を政権秩序へ組み入れようとした。
7月に和議が成立し、元親は人質を差し出して土佐へ退いた。国分では土佐を元親、讃岐を仙石秀久、伊予を小早川隆景、阿波を蜂須賀家政が領する枠組みとなった。

毛利軍が伊予へ渡る
讃岐へ上陸し諸城を攻める
一宮・脇両城を包囲
元親が和議を受け入れる
長宗我部元親は和議を受け入れ、人質を差し出して土佐一国へ退いた。
論点
和議の日は原資料の旧暦表記を西暦へ換算せず、月までとする。
和議を受け入れ土佐へ退く
人質として差し出される
出典1235·確実度:高
四国は長宗我部氏による広域支配から、秀吉が大名配置を決める政権秩序へ移った。有力大名を横断的に動員した点でも、秀吉の全国統一過程を示す戦役である。
データ上の注意
出典は旧暦の日付を中心に記す。西暦換算を確定できていないため、1585年6月〜7月までの表記にとどめた。総兵力と全軍の正確な進路は確定せず、史料で確認できる三方面の行動だけを示す。
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

広告