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九州平定

1587年3月〜5月 · 豊前・豊後・日向・薩摩

大友氏の要請と島津氏への停戦命令を背景に、豊臣秀吉が大軍を九州へ進め、島津義久を降伏させた戦役。

背景

島津氏は南九州から北上して大友領を圧迫した。秀吉は惣無事を命じたが戦闘が続いたため、豊臣秀長の先発軍と秀吉本隊を九州へ送った。

結末

島津義久は川内の泰平寺で降伏し、島津氏は薩摩・大隅・日向の一部を安堵されて豊臣政権へ組み込まれた。

九州平定 — 豊前・豊後・日向・薩摩

戦況年表

1 1587年3月

豊臣軍が九州へ進む

豊臣秀長の先発軍と秀吉本隊が複数路から九州へ進み、島津方の諸城を攻略した。

豊臣秀吉

豊臣軍総指揮

豊臣秀長

先発軍の指揮

島津義久

島津家当主

島津義弘

島津軍の指揮

出典123·確実度:中

2 1587年4月

根白坂で島津軍が敗れる

日向方面の根白坂で島津軍が豊臣方の陣地を攻めたが敗れ、島津方の組織的抵抗は困難になった。

豊臣秀吉

豊臣軍総指揮

豊臣秀長

先発軍の指揮

島津義久

島津家当主

島津義弘

島津軍の指揮

出典123·確実度:中

3 1587年5月

島津義久が降伏する

義久は川内の泰平寺で秀吉に降伏した。兵数や個別武功は確定値にせず、降伏と領地安堵を中心に扱う。

豊臣秀吉

豊臣軍総指揮

豊臣秀長

先発軍の指揮

島津義久

島津家当主

島津義弘

島津軍の指揮

出典123·確実度:中

歴史的な位置づけ

九州の有力大名を滅ぼさず再配置し、のちの名護屋城築城と朝鮮出兵の広域動員につながる統一戦争だった。

主な関係人物

豊臣氏

2名

豊臣秀吉

豊臣軍総指揮

豊臣方

出典123·確実度:中


豊臣秀長

先発軍の指揮

豊臣方

出典123·確実度:中

島津氏

2名

島津義久

島津家当主

島津方

出典123·確実度:中


島津義弘

島津軍の指揮

島津方

出典123·確実度:中

データ上の注意

兵数・損害・個人武功は調査ノートで確認できる範囲に限定する。

参照した資料

  1. 鹿児島県「秀吉の九州遠征」
  2. 福岡市博物館「戦国時代の博多展4」
  3. 文化遺産オンライン「豊臣秀吉条書 筑前国箱崎宛」

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1587年の勢力図を見る
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