INTERACTIVE BATTLE
1587年3月〜5月 · 豊前・豊後・日向・薩摩
大友氏の要請と島津氏への停戦命令を背景に、豊臣秀吉が大軍を九州へ進め、島津義久を降伏させた戦役。
島津氏は南九州から北上して大友領を圧迫した。秀吉は惣無事を命じたが戦闘が続いたため、豊臣秀長の先発軍と秀吉本隊を九州へ送った。
島津義久は川内の泰平寺で降伏し、島津氏は薩摩・大隅・日向の一部を安堵されて豊臣政権へ組み込まれた。

豊臣軍が九州へ進む
根白坂で島津軍が敗れる
九州の有力大名を滅ぼさず再配置し、のちの名護屋城築城と朝鮮出兵の広域動員につながる統一戦争だった。
データ上の注意
兵数・損害・個人武功は調査ノートで確認できる範囲に限定する。
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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