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北条氏康の家紋

後北条氏 三代当主

北条氏康

生年不詳〜1571年

後北条氏の三代当主。1541年に氏綱の跡を継ぎ、1546年の河越合戦で山内・扇谷上杉氏と古河公方の連合軍を破った。扇谷上杉氏はこの敗北で滅亡し、北条氏は武蔵で大きく優位に立った。氏康の重要性は一度の勝利よりも、1550年の税制改革と1559年の『小田原衆所領役帳』で軍役・普請役を課す基盤を整え、子を各地の支城領へ配して領国を地域単位で動かした点にある。1554年の甲相駿三国同盟から越相和融まで外交を組み替え、1559年末に氏政へ家督を譲った後も「御本城様」として1571年の死去まで後見した。

出典 小田原市「氏康の領国経営」/おだわらデジタルミュージアム「北条氏康」/小田原市「北条五代にまつわる歴史」/川越市「河越夜戦跡」/鉢形城歴史館「後北条の戦略」/静岡市歴史博物館「今川義元」/北条氏康書状(永禄12年3月13日)

家系図

資料で確認できた関係だけを示す。一族の全員を網羅したものではない。

関連する出来事

6件

1538年

10月1日

第一次国府台合戦

氏綱の嫡男
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足利義明・里見義堯らの房総軍が国府台で北条氏綱軍と戦い、北条軍が勝利して義明は戦死した。

1546年

4月

河越合戦

後北条軍総大将・夜襲を指揮
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北条氏康の援軍が河越城を包囲する上杉・古河公方連合軍を破り、扇谷上杉朝定は討死した。

1554年

甲相駿三国同盟が成立

相模方
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武田・北条・今川三氏は子女の婚姻を通じて同盟関係を成立させた。

1560年

3月

越後・関東情勢

関東での対立勢力
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長尾景虎(上杉謙信)が関東進出の準備を進め、北条氏康との対立が続く。

7月

北条氏康の関東制圧進展

関東国衆の従属化
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関東の一部諸将を傘下に収め、上杉勢力を牽制。

1561年

4月

上杉政虎の小田原城包囲

小田原城に籠って守る
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関東の諸将を集めた長尾景虎が小田原城を包囲したが落とせず、鎌倉で関東管領職を継いで上杉政虎と改めた。

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