INTERACTIVE BATTLE
1538年10月 · 国府台
足利義明・里見義堯らの房総軍が国府台で北条氏綱軍と戦い、北条軍が勝利して義明は戦死した。
伊豆・相模を固めた北条氏にとって、武蔵は関東平野・江戸湾・河川交通へ出る扉だった。氏綱は1524年に江戸城、1537年に河越城を攻略して上杉氏の拠点を切り崩し、北武蔵・下総へ軍と行政を伸ばしていた。国府台で小弓公方足利義明・里見義堯らと対峙したのは、その進出が房総・下総へ及んだ局面である。
北条方が勝利し、小弓公方足利義明は戦死した。氏綱期の領国は、伊豆・相模だけでなく武蔵・駿河の一部、下総の一部へ広がったとされる。
この勝利は、房総・下総の勢力へ北条氏の軍事力を示した。氏綱は前線に新たな城と城主を置く支城網の基盤を広げ、のちに河越城は大道寺氏、玉縄城は北条綱成、八王子方面は北条氏照が担うことになる。ただし各城の城主と時期は世代により変わるため、氏綱が後世のすべての支城配置を完成させたとはいえない。
データ上の注意
兵数や個別の軍功については、後世の軍記や地域伝承に大きな数字・英雄譚が多い。本ページは城の攻略、戦闘の結果、勢力圏の変化を中心に記し、兵数や奇策は一次史料で確認できるまで採用しない。
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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