INTERACTIVE BATTLE
1560年9月 · 近江国野良田(現在の彦根市野良田町・肥田町)
六角方に攻められた肥田城の救援に出た浅井長政が、宇曽川をはさんで六角義賢の軍を破った合戦。浅井氏が六角氏から自立する転機になった。
浅井氏は久政の代に南近江の六角氏へ従っていた。滋賀県教育委員会は、その子の長政が不満を持つ家臣たちと共謀して久政を隠居させたと記す。六角方の高野瀬氏が拠る肥田城は前年に水攻めを受けており、両者の境目が争点になっていた。
六角軍は敗れ、浅井長政は北近江(江北)を自らの領国として支配するようになった。六角氏は3年後の観音寺騒動で家中が乱れる。

六角軍が肥田城へ攻め寄せる
長政が小谷城から南下する
野良田で浅井軍が勝つ
滋賀県教育委員会は、この戦いで六角氏を破った長政が「これ以後自立した領主権力として江北を支配する」と記す。桶狭間と同じ年に、近江でも勢力の均衡が動いた。
データ上の注意
日付は西暦(ユリウス暦)で表記する。出典は旧暦の永禄3年8月中旬とし、日を特定できる史料が乏しいため、表示は月までにとどめる。兵数と死者数は軍記由来で幅があるため本文には書かない。肥田城跡は大半の遺構が残らず、地図の点は肥田町・野良田町の代表位置として置く。
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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