INTERACTIVE BATTLE
1561年4月 · 相模国小田原城(現在の神奈川県小田原市)
関東の諸将を集めた長尾景虎が小田原城を包囲したが落とせず、鎌倉で関東管領職を継いで上杉政虎と改め、兵を退いた。
後北条氏に追われた関東管領・上杉憲政は越後の長尾景虎を頼った。景虎は憲政を奉じて前年8月に越山し、上野の沼田・岩下・厩橋を押さえて武蔵へ南下した。
城は落ちず、上杉軍は包囲を解いた。景虎は鎌倉の鶴岡八幡宮の社前で上杉憲政から上杉の名字と関東管領職を譲られ、上杉政虎と改めた。

景虎が越山し上野を押さえる
武蔵を南下し関東の諸将が集まる
小田原城を包囲する
関東管領の権威は得たが、参陣した関東諸将の結束の弱さに加え、小田原城の守りと補給線の長さも重なり、遠征は実効支配へ転じなかった。以後、上杉方の越山は毎年のように繰り返される。
4名
データ上の注意
日付は西暦(ユリウス暦)で表記する。出典は旧暦を用いており、永禄4年3月の包囲が西暦の1561年4月にあたる。包囲の期間と規模、城下での行動は資料ごとに差が大きいため、数値は本文に書かない。
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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