INTERACTIVE BATTLE
1589年6月 · 摺上原
伊達政宗が摺上原で蘆名義広方を破り、その後黒川城へ入って会津を掌握した。

伊達軍が会津方面へ進む
伊達政宗は米沢・会津間の峠道を越えて会津方面へ軍を進めた。蘆名氏では養子継承後の家臣団が一枚岩ではなく、佐竹氏も常陸方面への備えを必要としていた。
出典12345·確実度:高
摺上原で両軍が衝突する
摺上原で伊達軍と蘆名義広を中心とする蘆名・佐竹方が戦い、伊達方が勝利した。布陣、兵数、風向きや個々の離反を勝敗の決定因とする説明は確定しない。
論点
兵数・布陣・風向き・離反の詳細は軍記を含む諸説がある。
出典12345·確実度:高
義広が会津を退く
敗れた蘆名義広は黒川城を離れて常陸へ退き、政宗が会津へ進出した。ただし伊達氏の会津領有は翌1590年の奥羽仕置で覆された。
出典12345·確実度:高
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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