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宇喜多秀家の家紋

武将

宇喜多秀家


関連する出来事

4件

1585年

6月

四国征伐

讃岐方面軍
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羽柴秀吉が長宗我部元親の四国支配に対して三方面から征討軍を送り、元親を降伏させた戦役。元親は土佐一国へ退き、四国は豊臣政権の国分に組み込まれた。

1592年

4月

文禄の役

在朝の総大将
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秀吉の命で16万の日本軍が釜山へ渡り、わずか20日で漢城、2か月で平壌に達した。だが李舜臣の水軍に海路を断たれ、各地の義兵と明の援軍に押し返される。1593年に漢城を退いて南岸の倭城へ引き、講和交渉に入った。

1597年

7月

慶長の役

左軍の大将
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講和が破れて再び渡海した日本軍は、漆川梁で朝鮮水軍を破り南原城を落として全羅道を押さえた。だが稷山で北上を止められ、復帰した李舜臣に鳴梁で敗れて南岸の倭城に釘付けとなる。1598年8月の秀吉の死を受けて撤退し、11月の露梁海戦で7年の戦役が終わった。

1600年

8月1日

伏見城落城

西軍の伏見城攻撃に参加
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西軍の攻撃により伏見城が落城・焼失し、守将の鳥居元忠らが戦死した。

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