
徳川家臣・大名
1548年〜1610年
三河国額田郡に生まれ、徳川家康の家臣として家康の家督争い平定から関ヶ原の戦いまで従軍したとされる。具体的な合戦ごとの役割は確認されていない部分も多いが、多くの合戦に従軍した武人として伝わる。1590年の家康関東移封に伴い上総大多喜10万石の藩主となり、安房方面の防備に当たった。1601年に伊勢桑名10万石へ転封され、初代桑名藩主として慶長の町割を主導し、城下町基盤を整備した。関ヶ原の戦いでは東軍の軍監を務め、島津義弘隊の追撃に参加した。
出典 千葉県立中央博物館『大多喜城』、桑名市『本多忠勝』
4件
1570年
7月30日
姉川の戦い
徳川方の将金ヶ崎で浅井長政に背かれた織田信長が、徳川家康とともに近江へ攻め込み、浅井・朝倉軍と姉川で戦った合戦。織田・徳川方が勝ったが、浅井氏を滅ぼすまでには至らなかった。
1573年
1月25日
三方ヶ原の戦い
徳川方の将西上の途にあった武田信玄が遠江へ攻め入り、浜松城を素通りして北へ向かった。誘い出された徳川家康は三方ヶ原の台地で追撃を受け、生涯でも指折りの大敗を喫した。
1575年
6月29日
長篠の戦い
徳川方の将長篠城を囲んだ武田勝頼に対し、織田信長と徳川家康が設楽原で迎え撃った合戦。馬防柵と鉄砲を組み合わせた織田・徳川方の陣に武田軍は突き崩され、宿老級の武将を数多く失った。
1600年
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