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黒田孝高 — 如水居士像作者不詳「如水居士像」
黒田孝高の家紋

播磨の武将・豊臣政権

黒田孝高

播磨の小寺氏の家臣から秀吉に仕え、中国攻め・九州平定・朝鮮出兵に関わった武将。官兵衛・如水の名で知られる。万能の「軍師」とする後世像ではなく、播磨の地域勢力との交渉、九州の領地経営、前線の報告と兵站を結ぶ役割として捉える必要がある。竹中重治と並べる「二兵衛」の呼び名も後世の人物評で、二人が常に一体で作戦を立てたという意味には用いない。

出典 姫路市「姫路城ゆかりの人物」/福岡県「黒田官兵衛とライバルたち」/福岡市「官兵衛ものがたり(2)」/国立歴史民俗博物館「豊臣秀吉朱印状」/福岡市「福岡城跡」

家系図

黒田孝高

本人

黒田長政

資料で確認できた関係だけを示す。一族の全員を網羅したものではない。

関連する出来事

3件

1582年

7月2日

山崎の戦い

秀吉方の参謀
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本能寺の変の11日後、備中から引き返した羽柴秀吉が明智光秀を山崎で破った合戦。光秀の政権は10日あまりで潰え、秀吉が織田家中で抜きん出る契機となった。

1585年

6月

四国征伐

讃岐方面の将
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羽柴秀吉が長宗我部元親の四国支配に対して三方面から征討軍を送り、元親を降伏させた戦役。元親は土佐一国へ退き、四国は豊臣政権の国分に組み込まれた。

1600年

10月19日

石垣原の戦い

黒田・松井方の指揮
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旧領回復を目指す大友義統と、黒田孝高・松井康之の軍勢が別府の石垣原で戦った。昼から夕方にかけての激戦の末、黒田・松井方が勝ち、義統は降伏した。

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