INTERACTIVE BATTLE

石垣原の戦い

1600年10月19日 · 豊後国石垣原

旧領回復を目指す大友義統と、黒田孝高・松井康之の軍勢が別府の扇状地で戦い、黒田・松井方が勝った。

背景

関ヶ原の2日前、別府の扇状地が戦場となった。大友義統は旧暦9月9日に立石へ布陣し、10日夜から杵築城への攻撃を始めていた。豊前中津の黒田孝高は、細川家臣の松井康之とともにこれを迎え撃った。

結末

昼ごろから夕方にかけて激戦となった。当初は大友方が優位だったが、数で勝る黒田・松井勢が大友方の主要武将を討ち取って勝敗が決した。大友方の吉弘統幸は石垣原で自刃した。戦いは9月15日(西暦10月21日)に終結し、義統は降伏した。

石垣原の戦い — 豊後国石垣原

戦況年表

1 1600年10月19日 昼〜夕

石垣原で激戦となる

昼ごろから夕方にかけて石垣原で激しい戦闘が行われた。当初は大友方が優位だったが、数で勝る黒田・松井勢が大友方の主要武将を討ち取り、勝敗が決した。吉弘統幸はここで自刃した。

出典12·確実度:高

2 1600年10月21日

大友義統が降伏する

戦いは終結し、義統は降伏した。別府の地で大友400年の歴史が完全に終わった。

出典12·確実度:高

歴史的な位置づけ

別府の地で大友400年の歴史が完全に終わった。九州でも関ヶ原と連動した戦いが起きていたことを示す。

主な関係人物

徳川方

2名

黒田孝高

黒田・松井方の指揮

豊前中津から出て大友義統を迎え撃ち、数で勝る軍勢で勝敗を決した。

出典1·確実度:高


松井康之

細川家臣

細川家の家臣として黒田方を支え、大友方の主要武将を討ち取った。

出典1·確実度:中

石田方

2名

大友義統

大友方の指揮

旧領回復を目指して豊後へ渡り、立石に布陣して杵築城を攻めた。石垣原で敗れて降伏した。

出典1·確実度:高


吉弘統幸

大友方の武将

大友軍屈指の武将として戦い、石垣原で自刃した。

出典1·確実度:高

データ上の注意

出典の日付は旧暦の慶長5年9月13日。西暦は検証済みの9月15日=1600年10月21日を基準に、同じ旧暦9月内の日差から10月19日とした。

参照した資料

  1. 別府市「大河ドラマ『軍師官兵衛』ゆかりの石垣原合戦」
  2. 国土地理院 住所検索

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1600年の勢力図を見る
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