作者不詳「黒田長政像」
黒田家の継承者・九州
黒田孝高の子で、父とともに秀吉に仕え、九州の領地経営と朝鮮出兵に関わった武将。父子を一つの人物像にまとめず、それぞれの任務と家の処遇を分けて追う必要がある。
出典 姫路市「姫路城ゆかりの人物」/福岡県「黒田官兵衛とライバルたち」/福岡市「官兵衛ものがたり(2)」/国立歴史民俗博物館「豊臣秀吉朱印状」/福岡市「福岡城跡」
黒田孝高
親
黒田長政
本人
3件
1592年
4月
文禄の役
三番隊秀吉の命で16万の日本軍が釜山へ渡り、わずか20日で漢城、2か月で平壌に達した。だが李舜臣の水軍に海路を断たれ、各地の義兵と明の援軍に押し返される。1593年に漢城を退いて南岸の倭城へ引き、講和交渉に入った。
1597年
7月
慶長の役
右軍講和が破れて再び渡海した日本軍は、漆川梁で朝鮮水軍を破り南原城を落として全羅道を押さえた。だが稷山で北上を止められ、復帰した李舜臣に鳴梁で敗れて南岸の倭城に釘付けとなる。1598年8月の秀吉の死を受けて撤退し、11月の露梁海戦で7年の戦役が終わった。
1600年
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