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国別データ

筑前国

戦国期を通じて大内氏・少弐氏・大友氏や在地の国人衆が競り合い、大友氏が優勢な時期にも毛利氏の介入で離反が相次いだ。1587年の豊臣秀吉による九州平定で大友氏の勢力下から豊臣政権へ移り、小早川隆景が領した。関ヶ原の戦いでは名島の小早川秀秋が東軍に転じ、戦後に黒田長政が入封して黒田氏の統治が始まった。


年表

  1. 1551年 〜1559年

    大友義鎮・秋月氏・宗像氏・立花氏ほか

    諸勢力並立大友氏を中心に大内氏残党・毛利氏・筑前国人衆が交錯
  2. 1557年

    古処山城の落城

    毛利氏に呼応して大友氏に背いた秋月文種・晴種父子が、大友義鎮の攻撃を受けて古処山城で敗死し、城は落城した。

    古処山城の落城が行われた1557年の勢力図
  3. 1559年

    2月18日筑紫惟門が博多を襲撃

    大友氏に反旗を翻した筑紫惟門が約二千の兵で博多を襲撃し、大友方の代官を追った。博多は焼き打ちの被害を受けた。

    筑紫惟門が博多を襲撃が行われた1559年の勢力図
  4. 1560年 〜1566年

    大友宗麟

    大友氏
  5. 1567年 〜1569年

    大友宗麟秋月種実・高橋鑑種ほか

    諸勢力並立高橋鑑種・秋月種実らが毛利方として離反し(休松の戦い)、1568年には立花鑑載も離反した。1569年に毛利本隊が立花山城を取ったが(多々良浜の戦い)、尼子再興軍への対応で年末に引き揚げた
  6. 1570年 〜1575年

    大友宗麟

    大友氏毛利の撤退で筑前は大友の手に戻り、秋月種実らも降った
  7. 1576年 〜1580年

    大友義統

    大友氏大友義統は1576年に家督を継いだが、宗麟が1587年の死まで実権を持った
  8. 1581年

    大友義統

    大友氏大友義統は1576年に家督を継いだが、宗麟が1587年の死まで実権を持った
  9. 1582年

    大友義統

    大友氏大友義統は1576年に家督を継いだが、宗麟が1587年の死まで実権を持った
  10. 1583年

    大友義統

    大友氏大友義統は1576年に家督を継いだが、宗麟が1587年の死まで実権を持った
  11. 1584年

    大友義統

    大友氏大友義統は1576年に家督を継いだが、宗麟が1587年の死まで実権を持った
  12. 1585年

    大友義統

    大友氏大友義統は1576年に家督を継いだが、宗麟が1587年の死まで実権を持った
  13. 1586年

    大友義統

    大友氏大友義統は1576年に家督を継いだが、宗麟が1587年の死まで実権を持った
  14. 1587年

    大友義統

    豊臣氏九州平定で豊臣政権に服属した。大友義統は1576年に家督を継いだが、宗麟が1587年の死まで実権を持った
  15. 豊臣秀吉が伴天連追放令を発する

    九州平定後、豊臣秀吉は博多で宣教師に退去を命じる伴天連追放令を出した。また、イエズス会領だった長崎・茂木・浦上を収公して政権の直轄地としたが、直後に全国で信仰が完全に禁止されたわけではなかった。

    豊臣秀吉が伴天連追放令を発するが行われた1587年の勢力図
  16. 1588年

    大友義統

    豊臣氏九州平定で豊臣政権に服属した。大友義統は1576年に家督を継いだが、宗麟が1587年の死まで実権を持った
  17. 1589年

  18. 1590年

  19. 1591年 〜1594年

  20. 1595年 〜1597年

    小早川秀秋

    豊臣氏1595年に小早川隆景の家督を継いだ。隆景は1597年6月に没する
  21. 1598年 〜1599年

    小早川秀秋

    豊臣氏1595年に小早川隆景の家督を継いだ。隆景は1597年6月に没する
  22. 1600年

    小早川秀秋

    徳川方名島の小早川秀秋が関ヶ原で東軍へ転じ、戦後に黒田長政が入った/小早川秀秋は関ヶ原で東軍へ転じ、筑前を安堵された
  23. 1601年 〜1602年

    黒田長政

    徳川政権
  24. 1603年 〜1615年

    黒田長政

    徳川政権

この国の郡(15)

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