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国別データ

下野国


年表

  1. 1488年 〜1559年

    宇都宮氏・小山氏・那須氏・足利長尾氏・佐野氏・皆川氏ほか

    諸勢力並立宇都宮氏・小山氏・那須氏・足利長尾氏ほか(各地に分立)
  2. 1558年

    6月多功ヶ原の戦い

    下野へ侵入した長尾景虎に与する佐野豊綱が多功城を攻めたが、多功長朝がこれを討ち取り、越後勢を退けた。

    多功ヶ原の戦いが行われた1558年の勢力図
  3. 1560年

    宇都宮広綱小山高朝那須資胤・佐野氏ほか

    諸勢力並立宇都宮氏のほか小山・那須・佐野・壬生の各氏が並立し、足利・梁田は上杉方にあった
  4. 1561年 〜1569年

    宇都宮広綱小山高朝那須資胤・佐野氏ほか

    諸勢力並立宇都宮氏のほか小山・那須・佐野・壬生の各氏が並立し、足利・梁田は上杉方にあった
  5. 1570年 〜1580年

    宇都宮広綱那須資胤・小山秀綱ほか

    諸勢力並立宇都宮・那須・小山らの在地大名が分立し、佐竹と結ぶ宇都宮方と北進する後北条方が押し合った。小山氏は1575年に祇園城を追われ後北条へ降る
  6. 1581年

    宇都宮国綱・那須資晴ほか

    諸勢力並立後北条は小山領を足場に北へ攻め、佐竹と結ぶ宇都宮・那須方と押し合った
  7. 1582年

    宇都宮国綱・那須資晴ほか

    諸勢力並立後北条は小山領を足場に北へ攻め、佐竹と結ぶ宇都宮・那須方と押し合った
  8. 1583年

    宇都宮国綱・那須資晴ほか

    諸勢力並立後北条は小山領を足場に北へ攻め、佐竹と結ぶ宇都宮・那須方と押し合った
  9. 1584年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  10. 1585年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  11. 1586年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  12. 1587年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  13. 1588年

    北条氏直

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った
  14. 1589年

    皆川広照

    後北条氏氏政は1580年に氏直へ家督を譲ったのち、1590年の滅亡まで実権を握った/後北条氏影響下
  15. 1590年

    皆川広照

    後北条氏皆川広照は後北条方。小田原の陣中で秀吉へ降る
  16. 1591年 〜1597年

    結城秀康

    豊臣氏
  17. 1598年 〜1599年

    蒲生秀行ほか

    豊臣氏1598年3月に会津92万石から宇都宮18万石へ移された蒲生秀行が在国した
  18. 1600年

    蒲生秀行ほか

    徳川方宇都宮城。1598年に会津から18万石で移った秀行が在国し上杉に備えた/結城秀康は下総結城の領主であり下野の領主ではない(1598〜1599年と1601〜1602年も同じ誤り)
  19. 1601年 〜1602年

    奥平家昌ほか

    徳川政権蒲生秀行は1601年8月に会津60万石へ復帰し/同年12月に奥平家昌が宇都宮10万石へ入った
  20. 1603年 〜1614年

    奥平家昌

    徳川政権宇都宮10万石。家昌は1614年10月に没した
  21. 1615年

    奥平忠昌

    徳川政権家昌の死により忠昌が継いだ