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国別データ

播磨国


年表

  1. 1522年 〜1559年

    赤松晴政・浦上氏・別所氏・小寺氏ほか

    諸勢力並立赤松氏と浦上氏・播磨国人衆が地域ごとに並立
  2. 1560年 〜1569年

    赤松義祐

    諸勢力並立別所氏勢力
  3. 1570年 〜1579年

    別所長治赤松義祐・小寺政職ほか

    諸勢力並立三木の別所、置塩の赤松、御着の小寺らが分立し、西からは浦上・宇喜多の力が及んだ。1577年から羽柴秀吉の播磨経略が始まり、1578年の別所・小寺の離反(三木合戦)を経て1580年に平定される
  4. 1577年

    10月23日羽柴秀吉が播磨へ出陣

    織田信長から中国地方の毛利攻めを命じられた羽柴秀吉が播磨へ出陣し、中国攻めを本格化させた。

    羽柴秀吉が播磨へ出陣が行われた1577年の勢力図
  5. 12月3日羽柴秀吉が上月城を攻略

    播磨へ進出した羽柴秀吉は毛利方と結ぶ勢力の拠点・上月城を攻略し、中国攻めの前線を西へ進めた。

    羽柴秀吉が上月城を攻略が行われた1577年の勢力図
  6. 1578年

    3月三木合戦始まる

    三木城主・別所長治が織田方から離反して毛利方に呼応し、羽柴秀吉による三木城攻囲が始まった。

    この合戦を詳しく見る →
  7. 7月織田信忠が三木城包囲の付城を築く

    織田信長の嫡男・信忠は三木合戦に出陣し、羽柴秀吉の本陣となる平井山ノ上付城などを築いて包囲網を強化した。

    この合戦を詳しく見る →
  8. 1580年

    羽柴秀吉

    織田氏三木城が落ち、播磨が織田の分国となった
  9. 2月2日三木城落城

    約一年十か月に及ぶ兵糧攻めの末、別所長治らが城兵と領民の助命を条件に自害し、三木城が羽柴秀吉に開城した。

    この合戦を詳しく見る →
  10. 羽柴秀吉が姫路城を中国攻めの拠点とする

    播磨平定後、黒田孝高から姫路城を譲られた羽柴秀吉は城を改修し、但馬・因幡・備中へ進む中国攻めの本拠とした。

    このできごとを詳しく見る →
  11. 1581年

    羽柴秀吉

    織田氏
  12. 8月山陰・山陽の戦線拡大

    羽柴秀吉が但馬・因幡で進撃を続け、中国地方で毛利方との戦線が活発化。

    山陰・山陽の戦線拡大が行われた1581年の勢力図
  13. 1582年

    羽柴秀吉

    羽柴氏
  14. 1583年

    羽柴秀長

    羽柴氏姫路城主
  15. 1584年

    羽柴秀長

    羽柴氏姫路城主
  16. 1585年

    木下家定・播磨諸領主ほか

    羽柴氏木下家定が姫路城主となり諸領主が分領
  17. 1586年

    木下家定・播磨諸領主ほか

    豊臣氏木下家定を姫路城主として諸領主が分領
  18. 1587年

    木下家定・播磨諸領主ほか

    豊臣氏木下家定を姫路城主として諸領主が分領
  19. 1588年

    木下家定・播磨諸領主ほか

    豊臣氏木下家定を姫路城主として諸領主が分領
  20. 1589年

    木下家定・播磨諸領主ほか

    豊臣氏木下家定を姫路城主として諸領主が分領
  21. 1590年

    木下家定ほか

    豊臣氏姫路の木下家定が在国した
  22. 1591年 〜1597年

    木下家定ほか

    豊臣氏姫路の木下家定が在国した
  23. 1598年 〜1599年

    木下家定ほか

    豊臣氏姫路の木下家定が在国した
  24. 1600年

    木下家定ほか

    石田方姫路の木下家定が在国し、戦後に池田輝政が入った/関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る
  25. 1601年 〜1602年

    池田輝政

    徳川政権
  26. 1603年 〜1616年

    池田輝政

    徳川政権

この国の郡(16)

佐用郡
加古郡
加東郡
加西郡
印南郡
多可郡
宍粟郡
揖東郡
揖西郡
明石郡
神東郡
神西郡
美囊郡
赤穂郡
飾東郡
飾西郡

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