北陸へ進出した上杉謙信は9月、加賀手取川で柴田勝家率いる織田の援軍を撃破し、生涯最後となる大勝を収めた。一方、西国では羽柴秀吉が播磨方面への侵攻を本格化させ、毛利氏の勢力圏に迫る中国攻めが新たな戦線として動き出した年でもあった。
10月23日
織田信長から中国地方の毛利攻めを命じられた羽柴秀吉が播磨へ出陣し、中国攻めを本格化させた。
12月3日
播磨へ進出した羽柴秀吉は毛利方と結ぶ勢力の拠点・上月城を攻略し、中国攻めの前線を西へ進めた。
羽柴秀吉の但馬攻めに従った弟・秀長が竹田城の城代となり、兄弟による中国・山陰攻略の一翼を担った。
明智光秀は山陰道の要衝に丹波亀山城を築き、難航する丹波攻略とその後の統治の拠点とした。